「タレントマネジメント」 その3
[ 掲載日 ]2017/08/10
[ 掲載日 ]2017/08/10
- 優秀な人材を重点的に管理するという思想は、公平・平等を旨としてきた日本の人事部門にはなかなか受け入れ難いところがあるのではないか、 と考える方が多いようです。 しかしそれは間違いではないでしょうか。 人事部では採用段階から見どころのある人材は目をつけ、非公式に彼らの扱いに気をつけているというのが実情です。 システムには登録しなくとも、人事部長や人事課長の私的メモ、或いは頭の中には必ず記録されているはずなのです。
- それらの情報は、システムの範囲外に記録されていて、決して人目に晒されることはありません。 人事部門には門外不出の記録簿なんかがありますが、 それは会社で事故を起こした人物や事件、事案のことが記されています。 しかしそこには優秀人材が記録されていることはないのです。 人事のイベント、つまり昇給や昇進、あるいは重要な人事異動の計画時には、それらの人材が候補に上がり、適材適所という名目で特には抜擢され、処遇されていきます。
- 歴代の人事部長は、こうした情報を口頭や様々な形で後任に伝えます。また彼らの行動によって、評価の上向きか下向きの調整が見えないレコードの更新という形で行われています。 評価制度で評価され記録されるのはほんの一部で、こうした目に見えない情報が非公式に管理されているのだというを忘れてはいけません。
- さて、こうした情報が非公式に運用され、決まった様式や評価基準もないとなると、ロジカルにその優秀さを説明したり、 再生産を目的とした人材育成のスキームなども作りようがありません。 「誰がみても優秀だろう」という暗黙の了解で人を育成してきたという、極めて前近代的な人事管理では、科学的に仕組みを作ることは難しいのです。
- 米国の「タレントマネジメント・パッケージ」の人材育成のロジックは、別に新しいものではなく、ERPという全社最適のパッケージの最盛期にも存在をしていました。 その当時は、管理職や社員への情報による人的資源の強化というポイントはあまり強くなく、どちらかというと人事のオペレーション、 つまり社員情報をどう集めるかという方向性が人事部門にはアピールされていました。 しかし、ポジションを中心に人事管理をしている場合、適任という判定をするためには、客観的に評価をし異動のオペレーションにつなげるというストーリーが必要になります。
- 育成という視点がなくとも、人物の持っている「性能」とポジションが要求する「性能」を比べて、良い悪い、もう少しなどの判定を行う仕掛けが当時から説明されていました。 今ほど人的資源の枯渇が叫ばれていないときには、どんどん辞めさせてどんどん採用していくモデルが使われていましたが、 それが行き詰まったとき、内部育成の重要さが認識されて、「人材を育成する」という視点が強くなったのです。 仕組みを使えば、配置したいポジションが要求するスキル要件と、本人が持っているスキルを比較して、何が足りないのか、 どんなスキルや経験を磨けばそのポジションに登れるのか、明確に示すことができます。
- これらの仕組みを日本の企業が使う場合、最初に直面する困難は、様々なスキルや経験が比較できるように記録されていないことです。 人事部長や人事課長の頭の中にある、という状況は問題外ですが、評価にしても、資格等級制度が求めているあるべき人材像が、 人材モデルの要求するスペックと比較対象にできないという重大な欠陥があります。 曖昧な定義しかしていない資格等級制度では、仕組みを運用していくのに耐えられないのです。